あの人はお金持ちでいいなあ。それにひきかえどうして自分は貧乏なんだろう。
あの人はカッコよくていいなあ。それにひきかえどうして自分はブサイクなんだろう。
あの人はスタイルが良くていいなあ。それにひきかえどうして自分は太ってるんだろう。
あの人は健康そうでいいなあ。それにひきかえどうして自分は体が弱いんだろう。
「自分もああいう風になりたいなあ。よし頑張ろう!」という前向きな気持ちで頑張ろうという姿勢であるならは良いのでしょうが、他人との違いを自己否定に繋げてしまうと、その瞬間から人生は不幸になってしまいます。そのような羨ましい他人が幸せの基準となってしまい、基準を満たしていない自分はダメな存在だ、ということになります。
望むものや欲しいものの中には、先天的な理由で叶えられないことも沢山ありますし、そうでなくても相当な努力を要するものもあるでしょう。さらには、望むもの全てを叶えるのは到底無理なような気がします。
望むものが実現しない、心の満足が満たされない、常に自分にコンプレックスを持ち続ける。そんな状態は「幸福感」とは程遠いものだろうと思います。
隣の芝生は青く見える。一方、自分の家の芝生は枯れ果てている。自分はなんてダメな人間なんだろう。どうしてなりたい自分になれないのだろう。こんな思いを抱えながら生きるのは、楽しくないと思います。嬉しくないと思います。
そもそも、あなたが羨む「他人」は、あなたが羨む通りに幸せなのでしょうか。
お金持ちでも、美男美女でも、みんなの人気者でも、実は健康上の大きな悩みを抱えているかもしれないし、家庭問題で悩んでいるかもしれない。不幸そうなそぶりを見せないだけであって、本当は何かに悩んでいるかもしれません。
逆に、あなたが持ち合わせている何かに対して、あなた自身が他人から羨ましがられてることもあるかもしれません。あなたの家の芝生が青く見られているかもしれません。そう考えると、単に自分が何かを持っていないというだけで自分がダメな人間だと決めつけることはあまり意味がないのではないでしょうか。
結局、誰もが皆、求めるもの全てを手に入れられるわけではなく、誰しもが「何かしらを持っていて、何かしらを持っていない」のだと思います。もちろん欲しい何かが手に入れられないことへのコンプレックスはあるかもしれませんが、それがイコール「あなたはダメな人間」とはならないのです。
世の中たくさんの人がいます。持って生まれたものや生き方も十人十色です。いちいち自分と他人を比べていたら、はっきり言ってキリがないですよね?
ひと昔前のJ-POPの歌詞にもありましたが、「ここにあなたが居ないのが淋しいのじゃなくて、ここにあなたが居ないと思うことが淋しい」
まさにそういうことだと思います。
「自分はダメな人間だ」と決めて付けているのは他人ではなく、あなた自身です。誰も頼んだ覚えもないのに「自分はダメな人間だ」と自分で決め付けて暗い顔をして過ごすことに何の意味がありますか?そういう自分で居たいなら、それはそれでどうぞ、ですが、きっとそうではないですよね?やはり出来ることなら笑って生きていたいですよね?それならば少なくとも無意味な決め付けや思い込みは避けたほうが良いと思います。
もし笑って生きていきたいなら、「極力」他人との比較を減らすことです。もちろん全く比較をしないで生きるというのは非現実的でしょうから、「極力」で良いのだと思います。人間そんなに強くありませんしね。「ああ、また自分は他人との比較をして落ち込んでいるな」みたいに気付けるだけでも良いのではないでしょうか。 自分の心が苦しいと言っているのを気付けるだけでもずいぶん気持ちが楽になるはずです。